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朱蒙(チュモン)という人物は、東明聖王(とうめいせいおう)と呼ばれ、高句麗の初代国王とされる伝説の王です。
この高句麗については現代でも韓国・中国の間でどちらの歴史に帰属するかについて論争が起きています。
2004年に北京政府が高句麗は中華民族の一部であり、自国の地方政権であるとの認識を打ち出したところ、
韓国から激しい反発を受けて外交問題に発展しかけたそうです。
実際、韓国でも朱蒙(チュモン)ドラマ放送中に、歴史認識の違いが問題になったりもしました。
そんな高句麗について調べてみました。
【高句麗とは】
高句麗(こうくり、紀元前37年頃 - 668年)は、満州から朝鮮半島にかけて存在した扶余系民族とその国家名。鴨緑江周辺で農耕を主としてその他に牧畜・狩猟を生業としていたとみられる。
半島南西部の百済、南東部の新羅とともに朝鮮半島における三国時代をなした。隋煬帝、唐太宗による遠征を何度も撃退したが、唐と新羅による連合軍に滅ぼされた。中国・日本の史書においては高麗と表記されることもある。高句麗の名称は「大きな都城」の意味と考えられているが、確証はない。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(地図も)
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